安心感の研究 by 暖淡堂

暖淡堂の雑記ブログ

*スポンサーによる広告が多めに表示されています

両親の「人生の撤退戦」を見守る

こんにちは、暖淡堂です。
ちょうどお盆時期に父の葬儀を行いました。
母が喪主で、僕と妹は施主。
郷里北海道での一番暑い時期の葬儀になりました。

父の葬儀に関しては、事前に僕に見積もりをとって、準備をするように母から依頼がありました。
それで、費用のことと、母の今後の生活のことを考えて、参加人数の少ない「家族葬」とする形での準備をしていました。

母は当初から「家族葬」には反対だったようです。
その理由は「葬儀に呼ばれなかった人から苦情を言われる」ということ。
「家族葬」に関して、世の中で言われていることが、そのまま実家の周辺でも広く共有されているようで。
それでも、母に何度か話をして、苦情などがあっても全部僕(長男)が決めたのだから、と説明すればいい、としておきました。
それで母も納得したようではありました。

実際に父が亡くなると。
地元にいる妹と親戚と母で、葬儀を一般葬に変更して、準備を進めていました。
妹からは怒鳴るような調子でお説教される始末。
その時点から僕はただの施主の一人。
ただのお客さんと変わらない状態になりました。
近所の人や親戚がいうような、「一般葬だと香典の収入で、葬儀の収支はプラスになる」というのを期待していたようですが。
結局は50万円以上の持ち出し。
一般葬に変えるのはいいけど、その後の発注内容を決めるところには僕を参加させて欲しかったなと思うわけで。

母も親戚も、父の葬儀にはもっと人が集まるだろう、という見込みがあったようです。
それが、実際に葬儀が始まると、それほどの人数は集まらない。
集まっても、皆高齢者で、互いに支えながらやってくる感じで。
通夜や告別式に参列する人数は少なく、もっと小さめの会場でよかったと思います。
供花の数に対し、祭壇も大きすぎたかな、と。

まあ、まだ地方で家族葬を行うのは難しいということかもしれません。

そんな感じの葬儀になってしまいましたが、無事終了。
葬儀後は実家の状況を見て、できる範囲(体力と時間の限度内)で片付けてきました。
それを、実家で暮らす母自身は歓迎しているのか、いないのか。
自分自身で片付けをしようという様子はなく。
疲れているから、と言っていましたが、父が入院していた頃は時間があったはず。
まあ、あまり片付けはしたくないのでしょうね。

山積みになって埃を被っていた大量の寝具類は、放置すると変なものに変化(進化)してしまいそうなので、仕分けして、捨てるもの、洗うもの、残すものなどの山にしてきました。
地元のシルバー人材センターに連絡して、不要物を廃棄してもらう流れで母と取り決めしてきましたが、後日電話でその話をすると、まだ片付けはしたくないようで。
シミのついたタオルケット類は、暑い夏の熟成を経過して、どのようなものになるのか想像すると怖いのですが。

父が亡くなった後の事務手続きは、基本、僕がすべて対応。
日程的に帰省期間中にできなかったものは、妹が母と一緒に役所に行きました。
その書類も、僕が準備。
現在は不動産の相続登記の準備中です。
墓じまいも準備着手。
このまま実家じまいの情報収集も進めるつもりで。
実家じまいに関しては、母はあまり関心が無いようで、その部分、とても気になっているのですが。

母による父の看病と介護、父の葬儀、自宅の片付け。
これらはどれも、父と母の「人生の撤退戦」。
それを見守りながら、これからは自分と妻の「人生の撤退戦」を進めていかないといけない。
そんなことを思っている次第。

*☺☺☺☺☺*

 

「人生の撤退戦」は、無事終わること、が勝ちでしょうね。

 

両親の「人生の撤退戦」を見守る

「人生の撤退戦」という言葉は、以下の書籍を読んでいて目にしました。
よい言い方だな、と思い、今回使わせていただきました。

 

f:id:dantandho:20210924172547j:plain

dantandho
にほんブログ村 本ブログへ
dantandho