昭和の頃の、砂川のことを思い出しながら、少しずつ書いてみます。
高校を卒業するまでは実家で暮らしていました。
それが昭和50年代の後半、60年代の少し手前。
その後も、大学に通っていた間は、よく砂川には帰っていました。
就職してからは、あまり帰省できていません。
なので、平成の初め頃よりも後は、あまり知りません。
現在の砂川の様子は、ストリートビューのリンクでご確認ください。
豊沼駅のこと
豊沼駅は砂川に二つある駅の南側の方。
小さな駅である。
現在の三井化学の工場に近い。
三井化学は、もと、三井東洋高圧で、その前はただ東洋高圧だったと思う。
それで、子供の頃は、ただ「トーアツ」と呼んでいた。
たしか、豊沼駅近くで、「トーアツ」に向かう引き込み線と繋がっていた。
線路がたくさんあって、貨物列車の溜まりのようなところがあったように記憶している。
豊沼駅の駅舎の前は、砂利の敷かれたロータリーになっている。
自家用車やタクシーで豊沼駅まで来た人は、このロータリーの、駅舎へと登る階段前で降りる。
そのためのロータリーではあるが。
小学生の頃の僕たちは、このロータリーを遊び場にしていた。
学校が終わると、一旦自宅に帰り、改めて自転車に乗って駅前ロータリーに集合。
そこで、大概は三角ベースボールをして遊ぶ。
階段をバックネットに見立てて。
そこが遊び場になったのは、ロータリーに入ってくる車がほとんどなかったからだ。
まれに、自動車が来ることがあっても、十分余裕をもって対処できた。
そのくらいに、のんびりとしていた。
野球なので、ファウルチップも飛ばす。
ボールが、駅舎のガラス窓に当たることもある。
それでも、駅員さんに叱られることはほとんどなかった。
僕が野球をして遊んでいたときには、叱られた記憶はない。
そして、駅前ロータリーで野球をすることは、小学生の間中、ずっと許されていた。
階段を上がって右手側に駅のトイレがあった。
何度か使ったことがある。
当時は汲み取り式だった。
便器の汚れは、砂をつかって掃除していたようだ。
そう思われる痕跡を見た記憶がある。
なんの映画だったか思い出せないが、駅員さんがトイレを掃除するのに砂を使うというセリフがあった。
それで、ああそうだったのだ、と、自分の記憶の内容を再認識した。
駅舎の下は、自転車置き場のように使われていた。
線路側に行こうと思えば行けるような、隙間があった。
この隙間は西側に向かったところにあったので、夕方になると、そこから夕陽が差し込んだ。
野球をしていても、この夕陽が見える。
それで、野球を終えるタイミングを測っていた。
街で働いていた人たちが、汽車で帰ってくる時間でもあった。
実家で暮らしていた間、高校生の頃までは、この豊沼駅が、自分が暮らすところとは別のところ、外の世界への出口であり、また、外の世界から帰る時の入り口であった。
滝川や旭川、札幌などへ、豊沼駅から出かけて行った。
そして豊沼駅に帰ってきた。
豊沼駅に降り立ち、改札口を通り抜け、階段の上からロータリーを見下ろす。
と、ああ、帰ってきた、と思ったものだ。
お盆の時期には、このロータリーに櫓を組んで、盆踊りをしていた。
早い時間に始まる盆踊りの曲が、田んぼに囲まれた実家まで聞こえてきていた。
カエルの鳴き声と、盆踊りの音。
今も、その音を聞くことができるのだろうか。
現在も豊沼駅はあるようだ。
ロータリーの周りに、昭和の頃はあった、駅員さんのための住居が、なくなっている。
ただ、草むらになっている。
駅前に、商店があったはずだが、これもなくなっている。
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昭和の砂川:豊沼駅の思い出

dantandho