安心感の研究 by 暖淡堂

暖淡堂の雑記ブログ

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「強者でありながら驕るものは」 世の中の落ち着かなさの底にあるもの


こんにちは、暖淡堂です。

世の中がなんだか騒がしく感じます。

このところ目につくリーダーの振る舞い

世の中の不安の原因を放置して、「私についてこい」というリーダーが紛争を拡大している。

紛争に巻き込まれた人は、その場を逃れようとして、一か八かの選択をさせられている。

その選択肢は、リーダーが自分のために用意したものだけに限られている。

そんな感じの息苦しさと不穏さが、世の中に満ちていて。

それで、落ち着かない。

強者でありながら驕るものは

「管子」の「白心」篇に、次のような文章があります。

強にして驕なるものはその強を損じ、弱にして驕なるものは死亡すること亟かなり。強にして義に卑なれば、その強を信ぶる。弱にして義に卑なれば、罪を免れる。この故に、驕の餘は卑、卑の餘は驕なり。

強者でありながら驕るものは、その強さが損なわれ、弱者でありながら驕るものは、すぐに死んでしまう。強くありながらも義のために身を低めているものは、その強さはさらに大きくなる。弱くても義のために身を低めているものは、罪を免れる。つまりは、義がなく、驕り高ぶったものは、結局は低い身分に終わるのであり、ただ卑屈なだけのものは、威勢が増すと驕るようになってしまい、最後は同じである

「菅子四篇」暖淡堂

力を持った人

自分に力があると信じ、その力の上に立って、人々を支配しようとしている人物。

そのような人は、一面的な力はあるかもしれませんが、大きなものをすでに失っている状態。

味方がついていないと、すぐに自信を無くしてしまうような人であれば、その人は高い立場にいたとしても、弱い。

自分自身で立っている訳ではない。

そういう人物が驕ったとしたら。

その立場が長く維持できるとは思えません。

問題を絞り込み、諾否を問うというやり方

問題を絞り込んで、その問題に対して諾か否か。

その諾否の大勢に乗って世の中を支配する。

その状況が揺るぎ出したら、別の問題を出して、諾否を問う。

そんなことが繰り返されたら。

世の中が不安定になってしまいます。

義はあるか

「管子」の言葉の要点は、行動に義があるかどうかで結果は決まるというもの。

義は、個人的な理想や理念ではありません。

「管子」の「心術」に、義についての短い説明があります。

義者、謂各處其宜也。

義とは、それぞれ生じたものがおさまるべきところにあることをいう。

「管子四篇」暖淡堂

それぞれのものが、おさまるべきところ。

この世にあるものが、それぞれの在り方に適った場所にあること。

それが義。

それが広く実現された状態が大義

心に抱いた欲望に動かされ、あれこれと物事をざわつかせる。

このようなやり方は、義から離れるばかりです。

とりあえずはゆっくりと動く

人々を在り方に適った場所から引き離し、遠くまで連れて行ったところで放り出す。

そこで迷わせ、またどこかに連れて行く。

そんなやり方が、今の世の中の常道になっているような気がします。

義から離れたところにいるものは、強者であれ弱者であれ、落ち着きなくウロウロとする。

そんな状態になってしまいますね。

引っ張られても、押されても、ゆっくりと動く。

そんな方法で、自分のあるべき在り方の近くにいるようにするのがよいと思います。

 

*☺☺☺☺☺*

 

 

「強者でありながら驕るものは」

世の中の落ち着かなさの底にあるもの

 

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