この人も三十六歌仙の一人でした。
今回は藤原実方朝臣について紹介します。
藤原実方朝臣とは
生年不詳、没年は999年。
この歌は、女性に初めて贈った歌だったようです。
それが、とても技巧を凝らした歌になっています。
反語や掛詞が続いて使われています。
ちなみに「さしも草」とはもぐさのこと。
お灸につかうもぐさですね。
これが燃えているくらいに熱い思いを抱いている、ということ。
最期は陸奥の地で迎えます。
陸奥への赴任は左遷であったようです。
左遷のきっかけは、和歌に関する諍い。
一条天皇の見ているところで藤原行成と口論になり、行成の冠を実方が掴んで投げるという出来事がありました。
ただし、赴任にあたって一条天皇から多大な餞別も受けていたようで、左遷とは言えないという見方もあるようです。
乗っていた馬の下敷きになったそうです。
後、この地を訪れた西行が、藤原実方の墓を見つけて、次の歌を読んでいます。
朽ちもせぬその名ばかりをとどめおきて枯野のすすき形見にぞ見る(山家集)
時代背景
藤原実方の陸奥への赴任先の業務には砂金の調達が含まれていました。
奥州は金で栄えた地域でもありましたね。
その地で、事故で亡くなった。
なんとなく、ミステリーっぽいものを想像してしまいます。
百人一首の歌
歌:かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを
歌の意味:これほどに恋しているということさえ伝えることができません、あなたは知らないでしょう、燃えるもぐさのように熱いこの思いを。
藤原実方のお墓は、現在は現地の竹林のなかにあるようです。
またお立ち寄りください。
どうぞご贔屓に。
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