こんにちは、暖淡堂です。
臨済録の現代訳作業を少しずつ進めています。
今回はどのように臨済が修行を始めたのか、それが書かれている部分。
序文の一番初めの部分を紹介します。
「散木の小屋」で紹介した馬防の肩書きの文章のすぐ後に続くところです。
黃檗山頭、曾遭痛棒。大愚肋下、方解築拳。
かつて黃檗山にあったとき、棒でしたたかに打たれたが、大愚のところでは、あばらの下に拳を突き込んだ。
Once, when the master was at Huangbao Mountain, he was hit hard with a stick, but at Dagu's place, he thrust his fist under Dagu's ribs.
饒舌老婆、尿床鬼子。這風顛漢、再捋虎鬚。
おしゃべりな婆さんに寝小便小僧と馬鹿にされたのに、この風顛漢は、懲りずに虎の鬚を引っ張ったりした。
Though he was ridiculed as a sleeping boy by a chatty old woman, this crazy man again pulled a tiger's whiskers.
巖谷栽松、後人標榜。钁頭斸地、幾被活埋。
岩ばかりの山に松を植えたのは、後の人の標榜となろうが、鋤で地を掘ったのでは、ほとんど活き埋めにするようなもの。
Planting pine trees on a rocky mountain would later become a slogan for practitioners, but digging the ground with a plow would almost bury them alive.
肯箇後生、驀口自摑。辭焚机案、坐斷舌頭。
黄檗はこんな頓馬を受け入れてしまったかとおのれの口を拳骨で打ったが、この頓馬、大事な机を焼き、師匠の舌を捻じ切って出ていった。
Huangbao struck his mouth with his fist, wondering if he had accepted such a dwarf, but this dwarf burned the precious desk and twisted off his master's tongue before leaving.
臨済は禅の修行を黄檗の弟子となることから始めた
臨済は黄檗の弟子になることから禅の修行を始めました。それ以前にすでに出家して経典の研究などをしていたようです。
黄檗のところでは、なかなか悟りの境地に至ることができません。黄檗にこのことを話すと、大愚のところに行くように指示されます。
大愚と臨済とのやりとりを経て
大愚は、黄檗は老婆のような親切さで導いてくれているのに、といいます。その言葉が、臨済が悟りに至るきっかけとなります。
臨済はなんとそのときに大愚の胸か腹を殴りつけてから大愚のもとを離れます。
おしゃべりな婆さんとは誰でしょうか。もしかしたら大愚のことかもしれません。黄檗のことかもしれません。
その人に、臨済は寝ぼけた状態で歩き回っている小僧といわれます。
再び黄檗のもとへ、そして大悟
その後、また黄檗のもとに戻ります。
そして大愚のもとでのやりとりを黄檗に報告します。それを聞いた黄檗は、なんとかして大愚をつかまえてきて、一撃を喰らわしたいものだ、といいます。
それを聞いた臨済は、喰らわしたいものだ、などと言っている場合か、この場で喰らえ、と黄檗に一撃を加えます。
黄檗はここに帰ってきて、虎の髭を引っ張りよる、と言います。
で、臨済はそこで一喝します。
黄檗はここで、臨済が禅の修行の段階を一段上がったことを理解したようです。
臨済独自の禅風へ
臨済が山に松を植えていると、師の黄檗が来て問います、なにをしているのか、と。
臨済は後世の人のための目標にするのだといいますが、その後で地面を鋤で三度叩きます。その後、また三度叩きます。
これは、なにを意味しているのでしょうか。
臨済、黄檗のもとを去る時
臨済が黄檗のもとを改めて去ることになったとき、黄檗は師の百丈から受け継いだ禅版と机を臨済に渡します。ところが臨済はこれを燃やしてしまい、それから立ち去ります。
黄檗はむしろ、その姿をみて、禅風のさらなる発展が期待できると思ったようです。
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この部分の詳細は臨済録本文後半の行録で詳しく説明されています。
引き続きどうぞよろしくお願いします。