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こんにちは、暖淡堂です。
夜の駅前などに机を置いて、ジャラジャラと筮竹をすり合わせ、時々暇そうに歩いている人に「これこれ、そこな人、水難の相が出ておりますな」などと声をかける。
声をかけられた人が何だろうと振り向いたときに、うっかり水溜りに足を突っ込んでしまう。あるいは川にドボン。
「易者」というとそんなイメージを持っていませんか?(古すぎか?)
「当たるも八卦、当たらぬも八卦」などという言い方もセットになっていて。
この、街中で占いをする「日本風の易者スタイル」のルーツはおそらく江戸時代頃のもののようです。
当時の儒学者などの影響が大きかったと想像します。
易学のテキストが、数人の儒学者によって書かれていて、それらは江戸時代のベストセラーになったようです。
その中の一冊、新井白蛾の書いた「易学小筌」は、江戸時代に多くの人に影響を与えました。
また、この本は明治になっても出版され続けました。
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日本の易者の系譜はここから始まる?
江戸の儒学者 新井白蛾
新井白蛾は正徳五年(一七一五)に江戸で生まれました。初め、菅野兼山に師事して朱子学を学んだ後京都に上り、易学を極めました。寛政三年(一七九一)、加賀に招かれ藩校の明倫堂設立に関わり、亡くなるまでその学頭を務めました。
「易学小筌」は宝暦四年(一七五四)に出版されました。新井白蛾は四〇歳の少し手前でこの本を書き上げたようです。暖淡堂の手元にあるのは、文化二年(一八〇五)に改版され、さらに明治二三年になって大阪で出版されたものになります。
繰り返しになりますが、ベストセラーだったようです。
新井白蛾の「易学小筌」の特徴は、「平民」に対して語りかけているところです。易はもともとは支配者階級が、政治の方向性を決めるために参考にするために利用されたもので、どの卦の説明も国の主の立場に対するものになっています。それを、新井白蛾は「平民」として読み取れるようにしました。
言葉は平易で、それぞれおみくじを読んでいるような感覚で簡単に読み進められます。
易学小筌の内容については、暖淡堂拙訳、新井白蛾「易学小筌」をどうぞご一読ください。
また、ご自身で易を使った占いをしてみたいという場合は、以下の書籍を参考にしていただければと思います。写真入りで占い方の説明をしています。
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易について、少しずつ書き進めていきます。
引き続き、どうぞご贔屓に。
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