この人は三十六歌仙の一人であり、後撰和歌集の選者でもありました。
大中臣能宣朝臣とは
生年921年、没年は991年。
伊勢神宮の祭主の家柄の人でした。大中臣家は代々歌人を輩出してきた家系。百人一首第61番目の歌の作者伊勢大輔の祖父にあたります。
ちなみに、この歌の作者は大中臣能宣朝臣ではないのではないかと言われています。誤って紛れ込んだものだと考えられています。
その真偽については、今後の研究の結果を待ちましょう。
この歌は、宮中の門番が燃やす篝火のように、夜ともなれば燃え上がり、昼には消えてしまう恋心を表現しています。
当時の京の都の夜は、多くの男女が逢引をしていたところ。
その夜の闇と篝火の光との対照に、どこどなく官能的なものを感じます。
時代背景
御垣守は宮中の門番、警護を行う人、その役目を衛士と呼ばれる人たちがになっていました。
衛士とは宮中を守るために地方から交代で上京し、任務についた人たちでした。任期は初め1年だったようですが、のちに3年に延ばされました。
お雛様飾りの中にもいるようです。
お雛様15人揃いの中の3人組の男性が衛士ですね。
百人一首の歌
歌:御垣守衛士のたく火の夜は燃え昼は消えつつものをこそ思へ
歌の意味:宮中を警護する衛士らの焚く篝火は、夜は燃えて昼には消えている。その火のように、夜には燃え上がり昼には消えるように恋をしているのだ。
藤原北家の権勢のピークの頃でしょうか。
「枕草子」や「源氏物語」の成立にも、藤原氏の影響があったようです。
またお立ち寄りください。
どうぞご贔屓に。
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