安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

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「山里は冬ぞ寂しさまさりける」 源宗于朝臣 光孝天皇の孫 臣籍降下について

百人一首第28番目の歌の作者は源宗于みなもとのむねゆき朝臣あそんです。

光孝天皇の孫にあたります。

 

今回は源宗于朝臣について紹介します。

 

源宗于朝臣とは

生年は不詳、没年が940年です。

894年に源の姓を与えられ、臣籍降下、つまり皇族を離れて天皇に仕える臣下となります。それで光孝源氏とも呼ばれます。

後に東国の武士団の棟梁として力を伸ばす源氏は清和源氏とも呼ばれますね。

清和天皇から臣籍降下した一族という意味です。

 

ちなみに朝臣とは官位が五位以上の人につける敬称、親称です。

五位は姓と名との間に、四位は姓名の後に、三位以上は姓の下につけて名はつけない形になります。

源宗于朝臣は姓名の後。官位は正四位の下、右京大臣でした。

 

歌人としては三十六歌仙の一人で、その作品は高く評価されています。紀貫之や伊勢などとも交流がありました。

 

時代背景

源宗于朝臣の晩年は、平将門の乱(935年)、藤原純友の乱(939年)が起こりました。

東国では荘園支配で力をつけた武士たちが京からの独立を図るほどの力をつけていました。

一方で西国では中国、朝鮮半島との交易や海賊行為で財をなした集団が反乱を起こしました。

その時、京では藤原北家が権勢の基盤をさらに強めていました。

武力、経済、政治。

これらがそれぞれに力を伸ばしながら、三つ巴の状態で時代は進むことになります。

 

百人一首の歌

歌:山里は冬ぞ寂しさまさりける人目も草もかれぬと思へば

歌の意味:山里は、特別冬になると寂しさがまさるものだ。人の訪れもなく、草も枯れてしまうことを思えば。

 

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「山里は冬ぞ寂しさまさりける」 源宗于朝臣

光孝天皇の孫 臣籍降下について

 

天皇の皇子らが臣籍降下して源や平の姓を名乗るようになります。

彼らが後に力をつけて、政治の中心に出てくるのも、時代のダイナミクスでしょうか。

 

またお立ち寄りください。

どうぞご贔屓に。

 

 

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