こんにちは、暖淡堂です。
今回は義父の蔵書だったものから一冊紹介します。
森村誠一さんは「人間の証明」や「野生の証明」など、映画の原作にもなった作品の作者で、僕が中学生の頃はミステリー作品などをたくさん書かれていました。
で、今回読んだのは「五十歳でも老人 八十歳でも青年」。義父の書棚を片付けたWifeが見つけて持って帰ってきたのを借りて読みました。出版されたのが東日本大震災の1年ほど後。東北は復興に向けて本格的に動き出した時期だったかと思います。
今回の読書で学んだのは以下の点です。
「能力の死刑」ということ
会社に勤めていると、定年という制度があるため、決まった年齢に達したらそこで雇用が打ち切られます。能力が衰えた訳でも、体力的に無理になったのでもなく、まだ十分に働けるのに定年で解雇。あるいは最近の制度では再雇用となりますが、処遇は大幅に見直されてしまいます。これを森村誠一さんは「能力の死刑」と呼びます。
未知数が多いことが「青春」の定義
しかし、森村誠一さんは、それをチャンスととらえるべきだと言います。再スタートのスタートラインに立ったのだと。むしろ、よくわからないことがたくさんある状態。その先に夢を見ようと。未知数が多いから「青春」。その「青春」を再び経験することができるのだと。
葬式の私物化
自分の死後に、散骨や共同の樹木葬などを希望する人が増えているようです。それを遺言で指定するようですね。ただ、森村誠一さんは、それを「葬式の私物化」といいます。亡くなった本人はそれで満足かもしれません。しかし、そうしてしまうと、家族や子孫たちが系譜をたどることができなくなってしまいます。葬式は親族が集まる機会、墓所は親族のためのサロン。であれば、葬式や死後のことは、遺族に任せるのがよいでしょう。
自分史の効用
自分史は、僕も少し書いています。それを書くことで、自分自身のこれまでを振り返ることができます。自分の人生の棚卸しですね。書きながら、両親に昔のことを聞いたりします。コミュニケーションのネタとして、とてもよかったと思います。また、この機会に過去を棚卸しすることで、これからの人生でやってみたいことが見えてきたりします。自分史を書くことには大きな効用があること間違いなしです。
スーパーオールド
スーパーオールドとは、身辺整理はすべて済ませていて、日々生かされていることを感謝しながら暮らしている人。九十歳以上の人のことです。自分もそんなスーパーオールドを目指してみようと、この本を読んで思うようになりました。
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森村誠一 「五十歳でも老人 八十歳でも青年」
スーパーオールドをめざして
自分は、まずは定年期を乗り切らないといけません。
その後はスーパーオールドを目指して、元気に明るく楽しく生きていこうと思います。
またお立ち寄りください。
どうぞご贔屓に。
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