江戸時代にはまだ著作権という考え方はありませんでした。
幕府としては、都合の悪い出版物(幕府批判など)を取り締まるために、出版物の規制をしていたくらいです。
江戸時代には、ベストセラーといえるような本がたくさん作られました。
作って売れば儲かるので、無許可で同じもの、またはよく似たものを作る業者が出てきました。
それで困ったのが、オリジナルの出版者、版元たち。
この出版社、版元たちが自衛のために行ったのが「覚」の策定です。
京都、江戸、大阪の例が知られています。
大阪での例を紹介します。
大阪では1698年に「覚」が策定されました。
この「覚」に基づいて判断されたのが次の事件。
大阪の書肆「池田屋三郎右衛門」が出版したものを「和泉屋喜左衛門」、「小嶋勘右衛門」、「天王寺源右衛門」が無断で複製し出版しました。
奉行所に訴えたところ、関係者が召喚され詮議が行われました。
その結果の処分が以下です。
- 無許諾で作成した印刷用の板を絶板にする
- 売れ残りの書物を没収
- 以後の重版、類版を禁止
大阪では、この事件以後「月行司」を置いて、業者間での規律維持、紛争の調整を行うようになりました。
江戸時代の出版物にまつわる争い 大阪の例
江戸時代には本がたくさん売れるようになっていました。
そうなると出てくるのが無断で複製する人たち。
他人の努力にフリーライドする人たちですね。
幕府は出版者の訴えを聞く形での対応を行っていました。
商人の声は無視できなかったということかもしれません。
またお立ち寄りください。
どうぞご贔屓に。
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