安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

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覇王の佐 ―宰相管仲― (3)

中国春秋時代の斉の国の宰相管仲論語の中にも登場します。それも数回。孔子の時代には管仲という人物はまだ人々の記憶に残っていたようです。

孔子にとって、管仲は簡単には評価できない人物。業績は無視できませんが、孔子の教えていることとは必ずしもそぐわないものだったようです。

 

以下は拙著「覇王の佐」からの引用になります。

 

三、論語の中の管仲

 

管仲は、春秋戦国時代の人々に、よく知られた人物だった。孔子の語録「論語」にも登場する。

 

子貢曰く、管仲は仁者に非ざるか。桓公、公子糺(きゅう)を殺す。死すること能わずして、又これを相(たす)く。子曰く、管仲桓公を相けて諸侯に覇たり。天下を一匡す。民、今に至るまでその賜を受く。管仲微(なか)りせば、吾、それ髪を被り衽(じん)を左にせん。豈(あに)匹夫匹婦の諒(まこと)を為し、自ら溝瀆(こうとく)に経(くび)れて知らるること莫(な)きが若(ごと)くならんや。(論語、巻第七、憲問第十四)

 

子貢が孔子に尋ねた。管仲という人物は仁の人ではないでしょう、桓公が公子糺を殺したときに殉死することなく、その桓公に仕えて宰相にまでなりました。孔子がそれに答えた。管仲桓公を補佐して諸侯の覇者とし、天下を正した。世の人々は今に至るまでその恩恵を被っている。もし管仲という人物が現れなければ、髪をまとめることなくただのばし、着物の襟を左前にするような野蛮な姿をしていただろう。世の普通の男女が、小さな義理立てをして首つり自殺をし、挙句その死体が溝に捨てられて、誰にも知られないことと、どうして同じにできるだろう、と。

 

この子貢と孔子の言葉の意味を理解するためには、春秋時代の斉の公子小白が斉桓公となるまでの経緯を知っておく必要がある。

殷の紂王を周の武王が倒した殷周革命で、その武王を補佐したのが太公望と呼ばれた呂尚であった。斉は、その太公望呂尚を建国の祖とする。山東半島の付け根辺り、泰山の東北東の位置にある臨淄(りんし)を首都とした国であった。

孔子の生まれ育った魯は、斉の南西側にあった曲阜(きょくふ)が国の中心であった。魯は斉と国境を接しており、孔子は斉における歴史的な出来事をよく知っていただろう。

 

斉一五代桓公(在位前六八五~六四三年)は、一三代僖公(在位前七三〇~六九七年)の公子の頃は、小白といった。僖公の公子には、諸兒(しょげい)、糺、小白などがいて、僖公の死後、諸兒は一四代襄公(在位前六九七~六八六年)となった。この襄公はしばしば横暴な振舞いをし、隣国魯との間で諍いを起こした。また僖公の甥の公孫無知の恨みを買い、やがて襄公は公孫無知に殺されることになる。

斉の国内が乱れる中、襄公の弟であった公子糺と公子小白はそれぞれ国を脱出していた。襄公が殺された時、公子糺と一緒に魯に逃れたのが管仲と召忽であった。その少し前に、公子小白とともに莒に逃れていたのが鮑叔であった。

襄公を殺した後、つかの間、斉の国主であった公孫無知もまた殺される。そして、国主不在の斉に先に帰ったのが鮑叔に伴われた公子小白、後の斉桓公であった。遅れを取った公子糺と管仲、召忽は、魯の軍とともに斉に入ろうとするが、桓公と鮑叔に率いられた斉軍に阻まれてしまう。

斉は魯に、公子糺を殺し、管仲、召忽の身柄を引き渡すように求めた。魯は公子糺を殺した。召忽は公子糺の死に殉じた。管仲は魯で囚われの身になった後、斉に引き渡された。斉に帰った管仲を宰相にするべく、強く推薦したのが鮑叔であった。鮑叔は、管仲の才能を高く買っていたのである。管仲と鮑叔は若い頃から親交があり、それは管鮑の交わりとも呼ばれている。

桓公のもとで宰相となった管仲は、その手腕を振るい、斉の産業を発展させ、国力を増大させた。ついには桓公を諸侯の覇者となした。

孔子と弟子の子貢との先の対話は、この辺りの事情を述べているものだ。

 

子貢は、公子糺とともにいた召忽は殉死したのに、管仲はしなかった。また自らが仕える主を変えた。二君に仕えるという、恥ずべき行為をしたのだ。だから仁の人ではない、といった。しかし、孔子管仲が仁の人か否かには直接回答せず、もし管仲が公子糺に殉じてしまっていたら、世の中が野蛮なままで、今のような様子にはなっていなかっただろう、そのくらいに、変革者として大きな存在だったのだ、と答えた。

 

(覇王の佐ー宰相管仲ー、暖淡堂著、暖淡堂書房より)

 

 

 

 

 

覇王の佐 ―宰相管仲― (3)

 

少し間が開いてしまいましたが、前回の続きです。

孔子にとって、管仲の存在は無視できなかったようです。

だからといって、無批判に評価することはできません。自分が普段教えていることと必ずしも合致しないことが多いからです。

それで、なんとなく苦し紛れの言い方になっているところも。

またお立ち寄りください。

どうぞご贔屓に。

 

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dantandho
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