「韓非子」では、夏の湯王を補佐した伊尹、周の武王、文王の革命を支援した太公望呂尚、斉の桓公を覇者にした管仲らを「覇王の佐」と呼びました。
名臣と呼ばれる人たちは、国主に優れた資質がない場合でも彼らを支えて、在位期間中に手柄を立てたといわれるようにし、優れた国主、名君であれば高く評価される功績を世に残すようにする。
それは同時に、国を富ませ、人々が豊かに暮らせるようにするために力を尽くすことでもありました。「覇王の佐」とはそのような努力を生涯続けた人たちでした。
「韓非子」では、さらに「覇王の佐」についての言葉が続きます。
二、治を正す
また韓非は次のようにもいう。
<原文>
治を知らざる者は、必ず曰(い)う、古を変えることなかれ、常を易(か)えることなかれ、と。変えると変えざるとは、聖人は聴かず、正に治めるのみ。然らば則ち古をこれ変えざると、常の易えざるとは、常と古の可なると不可なるとにあり。伊尹が殷を変えず、大公が周を変えざれば、則ち湯武は王たらず。管仲が斉を易えず、郭偃(かくえん)が晋を更(あらた)めざれば、則ち桓文覇たらず。(韓非子 南面 第十八)
<現代訳>
国を治めるということを知らない者は、必ずいうのだ、古くからあり、人々が当たり前と思っていることを変えてはいけない、と。変えるとか変えないとか、そのようなことには、国を治めるべき聖人は耳を貸さない。やるべきことをやるだけだ。古くからあって、人々が当たり前と思っているものを変えるか変えないかということは、そのことが現在の状況において良いことか、悪いことなのかによるのだ。もしあの伊尹が殷の古くからの在り方を変えず、太公望が周の人々の考え方を変えさせなければ、殷の湯王、周の武王が王となることは出来ず、管仲が斉の制度を改めず、郭偃が晋の習慣を変えさせなければ、桓公も文公も覇者となることはなかっただろう。
伊尹、大公望、管仲、それに郭偃は古くからの習慣や決まりごとを変えた。その時代の常識とされていたことを改めたのだ。しかし、彼らはそれらのことを、ただ古いものだからとして、変えたり改めたりしたわけではない。世の中の乱れを正し、人々の暮らしを平穏にし、国を富ませるための変革を目指して行っただけだ。
治を正す、その強い意志を持って、必要なことを実行したのだ。
人々が変えるべきではないとか、逆にこれを変えてくれとか要求したとしても、彼らはそれをそのまま聞くことはなかった。しかし、変えるべきことは断固として変えた。
人々の要求に引きずられたり、変えるべきことを変えられなかったりするのは、乱れた状態を放置し、邪まな振る舞いを許してしまうことだ。これでは治を失う、政を誤る。
伊尹や管仲らは、覇王に仕えた、鉄の意志を持った変革者だったのだ。
覇王の佐 ―宰相管仲― (2)
前回の続きです。
現代文の部分を拾い読みしていただいて、内容を把握していただければ嬉しいです。
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