年齢は商材である。
老齢は商機である。
そんなことを考えてしまった。
成人年齢が18歳に引き下げられた。
その理由は知らないが、この成人年齢も商材であろう。
そして、18歳に引き下げられたことで、なにかの商品の市場が広がったに違いない。
いつまでも若々しく、健康に過ごす。
こんな言い方の回りに、たくさんの商品、サービスが準備されている。
アンチエイジング商材の消費者に一度なってしまえば、その消費をやめる理由を見つけるのは難しくなる。
なぜなら、人は必ず老いるので。老い続けるので。
年齢なりに、普通に老いていく。
こんな言い方では、あまり商売としての魅力を感じさせるものがない。
だからどうした。普通に老いて、それで十分だ。
老いた状態に適った消費をする。
それでいい。
現役の時と同じレベルの消費をしなければいけないような幻想を抱かせて、貯蓄の少なさをビビらせるような物言いは、もうやめて欲しい。
…人目には老いが見えているのに、自分では老いたと思わないのも、これまたハタ迷惑なことではないだろうか。「スローガンのハタ迷惑」
年齢に応じた老い方をする。
それを「成熟」と言っていけないのだろうか。
人生は美しいことだけ憶えていればいい―。私はそう考えている。苦しいことの中に美しさを見つけられればもっといい。
「―ああ面白かった」
死ぬ時、そういって死ねれば更にいい。私はそう思っている。 「ああ面白かった」
年齢にピタリと適った老い方。
それが本当の成熟ではないか。
佐藤愛子「ああ面白かったと言って死にたい」
枯木の枝ぶり
なんだか最近似たような傾向の読書をしがちです。
しっかりと老いて、きちんと人生を片づける。
そんな生き方をしたいものだと思っています。
またお立ち寄りください。
どうぞご贔屓に。
(イラストは「いらすとや」さんからお借りしました)