斉の僖公の三人の公子の評価は次のようなものでした。
襄公となった公子諸兒は生まれが賤しい。公子糺は国民が母親を憎んでいる。公子小白は、母親が亡くなっていることを憐れんでいる。小白は小さな知恵はないが、ゆったりとした大きな思慮がある。
こう管仲は公子たちを評価しました。
この言葉は、管仲、召忽、鮑叔の三人の間で交わされたものとして記録されています。後の時代の人による記録と思われます。結果がわかっているので、こういえたという部分もあるでしょう。
鮑叔は僖公から公子小白の傅となるよう命じられたとき、鮑叔は悩みます。公子のうちの末子、小白の傅にされた。末子の小白は次の斉公になる可能性は一番低い。その公子の傅にされたということは、僖公は自分の能力を低いものと評価したのだろう。
僖公は自分を能力のないものとして捨てたのだ。
自分は小白の傅となれとする命を受けたくない、と、管仲、召忽に相談したのでした。
管仲、召忽、鮑叔はそれぞれ相手の能力を高く評価しあっていました。この三人が斉の国を盛り立てていくのだと考えていました。
管仲は鮑叔を説得します。末子ではあるが、小白には国の主となる資格が一番あるのだと。
公子の評価としては、公子糺がもっとも高かったようです。そして、管仲と召忽は公子糺とともに魯に逃れ、襄公が殺害されたあと、糺を斉公にしようとしましたが、できませんでした。
その後、斉と魯はしばらく交戦状態が続きます。
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管仲と鮑叔の若い頃の姿を描いた小説はなかなかみつかりません。その頃の史料が少ないからだと思われます。宮城谷さんの「管仲」は管仲と鮑叔の出会いから語り始めます。
その舞台が鄭です。鄭は周都の成周に近く、周の王家の血筋を引き、鄭伯が周王に重用されるなど重要な国の一つでした。
国語巻第六 斉語(4)
斉では桓公が即位します。
次回からは書物「管子」や「韓非子」などの文章を基にして紹介します。
引き続き、どうぞご贔屓に。
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