襄公を力で倒した公孫無知が国主となりましたが、国内は安定しません。
やがて公孫無知は雍廩(ようりん)という人物に殺されてしまいます。雍廩は公孫無知に虐待されたことがあり、深い恨みを持っていたようです。
国君不在となり、公子の即位を願う人々が、糺あるいは小白の帰国を策謀し始めます。
公子には、優秀な教育役、傅(ふ)がつけられます。僖公の子、糺と小白につけられた管仲、召忽、鮑叔などは、当時の斉において、学問に優れ高い見識を有するものと評価されていたのでしょう。また、すでにそれなりの身分であったとも考えられます。
斉の公が不在となり、管仲、召忽、鮑叔は、それぞれ自らが傅育した公子を位につけようと行動を開始します。彼らは知力の限りを尽くそうとしたでしょう。
先に斉の国に入ったのは、鮑叔に導かれた小白でした。鮑叔は斉の大夫、重臣たちと諮り、小白を国君とするための準備を始めます。
一方、公子糺の亡命先の魯は軍を起こし、糺を斉の国君とするべく斉に攻め込もうとします。魯に恩義を感じる糺を隣国の国主にすることで、今後の外交を優位に進めようと考えたのでしょう。
乾時(かんじ)というところが戦場になりました。
この時、管仲と桓公との間に、後に語り継がれる事件が起こります。
公子糺を斉公とするべく、魯軍に加わっていた管仲が、斉軍の中に公子小白(桓公)の姿を見ます。管仲は若い頃、何度か軍に加わり、戦場に出たことがあります。戦には慣れていたと思われます。
管仲は公子小白に弓を引きます。放たれた矢は公子小白の腹部に突き当たります。
管仲と召忽は、公子糺の即位が叶うと喜んだでしょう。
しかし、小白は死にませんでした。管仲の放った矢は、公子小白の腹部にあった鉤(こう)に当たったといわれています。鉤は、腰に巻く細帯を留めるバックルのようなものです。
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この戦は、結局、斉軍の大勝となりました。 公子糺、管仲、召忽は敗退する魯軍とともに引き返します。
一方、勝った斉は、公子小白を新しい君主として立てます。これまで桓公という言い方を何度かしてきましたが、この時から正式に、僖公の公子小白は桓公となります。
太公望呂尚から数えて第十六代の斉の国君、やがて中原の覇者となる桓公小白の即位です。
紀元前六百八十五年のことでした。
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ちなみに、~公という呼び方は死後に与えられるものなのですが、本文中では生前も~公という呼び方をさせていただきます。
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春秋左氏伝には、管仲の矢のエピソードは書かれていません。伝説の一つという理解でよいのかもしれません。
国語巻第六 斉語(3)
斉では桓公が即位します。
この時、管仲は公子糺とともに魯にいます。
鮑叔は管仲を呼び戻したい。
そのための策を練ることになります。
引き続き、どうぞご贔屓に。
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