魯の桓公が亡くなった後、斉の襄公は文姜としばしば会っています。そのことを、魯、斉両国の重臣たちも止めることは出来なかったのでしょうか。
魯は桓公の後、荘公が立ちます。荘公は文姜の子です。荘公は母の振る舞いに口を出せなかったのかもしれません。
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斉の襄公は、ある年の夏、貝丘(ばいきゅう)に狩りに出かけます。当時の狩りは軍事訓練を兼ねた遊興でした。一行は大きな猪を見ます。同行者の一人が、あれは殺された彭生だ、とささやきます。
襄公は不愉快になり、部下に猪を射殺させます。矢が当たると、猪はまるで人のように立ち上がり、悲鳴を上げます。その声が彭生のもののように聞こえました。襄公は驚き、車から落ちます。それから慌てて逃げるように宮殿に帰ったのでした。
襄公は途中で靴を無くしてしまいます。襄公に仕えていた費という人物に、靴を探しに行かせます。しかし費は靴を見つけることができませんでした。
襄公は怒り、費を鞭打ちます。費は血が流れ出るまで打たれました。そのあと、ふらふらになって宮殿を出ようとすると、今にも門から攻め込もうとしている公孫無知、管至父、連稱らの一団に出会いました。
公孫無知らは襄公の命を奪いに来たのでした。そして、費を縛り上げようとしました。費は襄公に鞭打たれた背中を見せ、襄公を心から憎んでいるといいました。
それを信じた公孫無知らは、費を縛り上げることをやめ、襄公のいるところまで案内をさせました。費は、まず自分が襄公のいる部屋に入り、油断させましょうと提案します。
ところが、部屋に入った費は、襄公に公孫無知らが攻めてきていることを告げ、隠れるようにいったあと、自らは武器を手にして公孫無知らに挑みかかりました。費は襄公を裏切らなかったのです。
それがわずかの間でしたが、時間稼ぎになり、襄公は身を隠しました。
しかし、結局は扉の下から見えていた足を見つかってしまい、襄公は殺されてしまいます。
それからすぐに、公孫無知が斉の国主となりました。
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この騒ぎの間に、襄公の二人の弟、糺と小白は斉の国を脱出します。身の危険を感じたのでしょう。糺には管仲と召忽、小白には鮑叔がつきそっていました。管仲と召忽は糺の、鮑叔は小白の、それぞれ傅(ふ)となっていました。
糺を伴った管仲と召忽は隣国の魯へ、小白と鮑叔は、小白の生母の生国の莒へ、それぞれ亡命します。
小白と鮑叔は、襄公が存命中に、その言動の不安定なことを憂いて莒へ亡命したようです。一方の糺と管仲、召忽は、公孫無知が襄公を殺すという事件の最中に脱出したとされています。
国語巻第六 斉語(2)
斉の国で内紛が続きます。
管仲と鮑叔は一旦国外に脱出。
その後、それぞれが伴った公子を国主にすべく知能を競い合います。
引き続き、どうぞご贔屓に。
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