安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

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国語巻第六 斉語(1)

「春秋左氏伝」を内伝と呼ぶとすると、「国語」は外伝にあたるということを以前書かせていただきました。

 

また、司馬遷の「史記」によれば、「春秋」の後に「国語」が書かれますが、このとき、左丘明は視力を失っていたようです。

 

左丘明は魯の国の人といわれています。しかし、不明なことが多く、生年没年が分からない上に、実在したかどうかも疑われたりすることもあります。

 

孔子論語」に左丘明という人物が出てきます(公冶長第五)。この人物が「国語」作者であるとはされていませんが、孔子はその人柄を認めていたようです。

 

 

で、ここから「斉語」に入っていきたいと思います。必要に応じ、「春秋左氏伝」、「管子」、「論語」、「韓非子」などを適宜参照して背景の事情を補うことにします。

 

「斉語」は、斉の桓公太公望呂尚から数えて第十六代)と、その臣の鮑叔牙との会話から始まります。

 

斉の第十三代僖(き)公の公子だった小白が、鮑叔とともに亡命していた莒(きょ)から斉に戻り、第十六代桓公に即位します。莒は小白の生母の生国だったようです。

僖公が亡くなってから、小白が亡命し、第十六代の桓公となるまでの経緯は、次のようなものです。

 

僖公の公子には、小白の他に第十四代襄公となった諸兒(しょげい)と糺(きゅう)がいました。また僖公の甥に、第十五代に即位した公孫無知がいます。

 

この第十四代襄公の頃のことです。先代の僖公は、弟の子、無知を実の子と同じように可愛がっていました。

それを襄公となる諸兒は面白く思っていませんでした。それで、襄公が即位した際に、無知の国内での処遇を引き下げました。これが公孫無知が襄公を恨むきっかけになります。

 

また、襄公は、連稱(れんしょう)と管至父(かんしほ)に命じ、葵丘(ききゅう)という土地を守備させました。一年間という約束で赴任したのですが、襄公はその約束を守りませんでした。

帰還を願い出ても、襄公からの返事はありませんでした。この二人も、襄公を恨むようになります。

 

人々の心が離れる中、襄公の政治体制を揺るがすような事件を、自ら引き起こします。襄公の従姉妹が隣国魯の桓公(斉の桓公とは別人です)に嫁いでいました。

文姜(ぶんきょう)といいます。この文姜と襄公とは、おそらく子供の頃から知り合っており、お互いに気が通じ合っていたのではないでしょうか。

 

魯の桓公が夫人の文姜を伴って斉を訪ねたとき、襄公と文姜は不倫の関係を結んでしまいます。それを知った魯桓公は文姜を責め、なじります。

そのことを伝え聞いた襄公は不愉快になり、少し度を越した腹いせを企みます。

 

襄公が催した宴会からの帰り、魯桓公は車の中で、公子彭生に脇腹を締め付けられて殺されてしまいます。

事件を知った魯の人々は怒ります。斉は彭生を殺して謝罪します。

魯はしぶしぶ謝罪を受け入れますが、この後も、斉と魯とは国境を挟んでの諍いがたえません。

 

そして、襄公はこの出来事をきっかけに、自らの命を失うことになります。

 

 

ちなみに魯は、太公望呂尚とともに文王、武王の殷討滅を補佐した周公旦を祖とする国です。周公旦は礼を重んじる人であり、それが国風にも現れます。

 

孔子はこの魯の生まれです。

 

 

 

 

国語巻第六 斉語(1)

 

管仲の活躍した斉の国のお話です。

しばらくお付き合いください。

どうぞご贔屓に。

 

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