タイへの出向の内示が出てからは、あれこれ大急ぎで手続きをしました。
入社以来、独身の頃も含めてずっと、いわゆる転勤族でした。
結婚して、子供ができてからもタイへの出向を含めて4回転勤しています。
そのたびに家探し、引っ越し、転校手続きなどをしました。
今回は、娘のシラチャ日本人学校への転校に関して、覚えていることを書いておきたいと思います。
タイへの出向の準備のための転校
出向の内々示が担当役員から口頭で告げられ、職場はその準備を始めます。その時点で山口県で勤めていたのですが、色々と準備をするためにまず東京へ転勤することになりました。出向の時期は未定でしたが、家族で相談して、全員で東京近隣に引っ越し、そこでタイ出向の時期を待つことにしました。この段階で娘は小学2年生。入学したばかりの学校を転校することになりました。引っ越しの日、家の近くに娘の友だちがたくさん集まって見送ってくれました。
日本人学校の下見
嫁さんと娘が、日本に残って出国の準備をしていた頃、僕は現地で日本人学校の下見をしました。2010年の2月頃でした。パタヤという観光地からバンコク寄りに少し戻ったところにシラチャという街があります。そこは日本人の駐在員などが多く住んでいて、日本人学校がありました。出来たばかりの新しい校舎で、児童生徒はまだ少なく、教室はゆったりと使われていました。児童生徒は増える見込みとのことでした。日本人学校は、日本の学校とほぼ同じ内容の教育がなされていて、学期も日本に大体合わせているので、日本の学校から転校しても、ブランクなく授業が受けられました。現地校やインターナショナルスクールも選択肢としてはありましたが、やがて日本に戻ることになるので、教育の連続性を重視して日本人学校を選びました。
授業が始まるまで
娘は2年生の終わりまで日本の学校にいて、3年生は1学期からシラチャの日本人学校に通いました。大体日本と同じタイミングで学期が始まるのですが、春は少し遅めです。春休みが一番長くて、夏と冬の休みが短めでした。タイは春が一番暑いことと、ソンクランという国民的なお祭りがあって、タイの人は皆まとまったお休みを取ることから、それらが落ち着いてから学校が始まることになっているようです。
で、娘は2年生と3年生の間の春休みは思いがけずロングホリデーになりました。シラチャやパタヤで、生活に必要なものを買いそろえたり、街の中の散策をしたりして過ごしました。バンコクにも行きたかったのですが、その頃はタクシン派、反タクシン派などの対立が激化しつつあった頃で、それが落ち着いてから行くことにしました。
【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録】
娘の転校 シラチャの日本人学校へ
娘は二つの幼稚園、四つの小学校(タイの日本人学校含む)に通いました。
親が転勤族だったので、苦労をかけたと思います。
幸い、どの学校でも楽しく過ごせたようで、それは親としてすごく助かっています。
娘が大人になったとき、子供の頃の経験を生かしてくれたらと願うばかりです。
またどうぞお立ち寄りください。
引き続きどうぞご贔屓に。
【広告】アジア、タイの雑貨のお店です
にほんブログ村ランキングに参加しています
