(Bloggerの記事を修正して引っ越しました)
伊尹という人物について
斉の桓公には管仲、周の文王、武王には太公望呂尚、殷の湯王には伊尹。
この最後に出てくる伊尹(いいん)ですが、日本ではあまり知られていません。
どのような人物だったのでしょうか。
伊尹の十八史略への登場の仕方は次のようなものです。
人をして幤をもって伊尹を莘(しん)に聘せしめ、これを夏桀に進む。用いられず。尹また湯に帰す。
ー(中略)ー
伊尹、湯の相となり桀を伐ち、これを南巢に放つ。諸侯、湯を尊び天子となす。
(十八史略巻一 殷)
湯は夏を破り殷を建国した湯王のこと。
湯王は賢者として知られていた伊尹を莘(しん)というところに住んでいた伊尹を招きます。
莘は河南省にあったと考えられていますが、一説に陝西省、または山東省である可能性もあるようです。
また、伊尹は自ら鼎を背負って料理人として湯に近づきましたが、その才能を知った湯が改めて召し抱えたともいわれています。
夏の桀王
伊尹の人柄と才能を知った湯王は、夏の桀王に伊尹を紹介し、よければ召し抱えてもらいたいと薦めました。
しかし、夏の桀王は自分自身が優れた才能の持ち主であり、また自尊心が高く、伊尹というどこの誰だかわらかない人物の補佐を必要としません。
桀は伊尹の才能に気づくことはありませんでした。
それで伊尹を湯王のもとに送り返しました。
夏の滅亡、殷の建国
あるとき、桀は臣下の諫言に腹を立て、殺してしまいます。
その人物の死を憐れみ、湯は人を送って弔わせます。
桀はそれにも腹を立て、湯を夏臺(かだい)というところに閉じ込めます。
湯はやがて許されて解放されるのですが、諸侯はその後の湯の振る舞いに徳を見出し、一方の桀王にはその専横ぶりが目に付くようになります。
諸侯の心は湯王による新しい国を望むようになります。
ついに、伊尹は湯王の宰相となり、夏の桀王を打ち破り、南巢に追放します。
そして殷建国に導きます。
夏の都、殷の都
夏と殷の都は割合に近くにあったと考えられております。
河南省偃師市で見つかった二里頭遺跡が夏の都であり、それより数キロメートル東にある偃師城遺跡が殷の都であったとされています。
いずれも洛陽の近くです。
参考文献1 新釈漢文大系 十八史略 上下 林秀一 著 明治書院
参考文献2 世界の名著 司馬遷 史記 貝塚茂樹・川勝義雄 訳 中央公論社
伊尹(いいん)について 殷(商)の成立
管仲と同じくらいに、伊尹という人物にも関心があります。
いずれも国主となる人物を補佐したナンバー2。
政治的手腕は同じ時代の誰よりも優れていました。
この人物たちがなければ国が栄えることはなかったと思います。
またお立ち寄りください。
引き続きどうぞご贔屓に。
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