安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

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子供の頃、大晦日はこうやって過ごしていた

昭和40年代の後半、クリスマスが終わって、終業式があって、大晦日とお正月まで。ずっとウキウキして過ごしていました。あの頃はしっかり雪が積もっていて、外で遊んでばかりいたかな。

 

昭和40年代後半の大晦日はこんな風に過ごしていた

・明るいうちはスキー、またはミニスキー

・夕方早めにお風呂

紅白歌合戦

花札

 

・明るいうちはスキー、またはミニスキー

スキー場までは、スキーを履いたままでも行けました。道路もあまり車が走っていなかったので、軽快にスケーティングでゲレンデ下まで行ったりしてました。スキー場に行かない時は、家の周りの小さな雪山でミニスキー。ミニスキーというのはプラスチック製の小さなスキーで、長靴の底にベルトで固定するもの。平たいスケートのようで、普通のスキーとは違ったスキルが必要になります。雪国の子供の、冬場の必須アイテムですね。関東でもスポーツデポアルペンで見かけました。時々雪が降ると、白くなった斜面をミニスキーで滑り降りることを想像したりしています。

 

・夕方早めにお風呂

昔の実家は、お風呂は石炭で沸かしていました。火の番は暇な子供の役目。初めに新聞紙、それから小さな薪、火が大きくなったところで石炭を加えます。大体僕がやっていました。ストーブの中で燃える石炭の火を眺めながら、ぼーっと考えごとをしたり、湯加減を確認したりしていました。役得で、一番風呂に入ることができました。

 

紅白歌合戦

いつもより早めに夕飯を終えて、家族がテレビの前に集まっています。猫もいました。で、昭和40年代の後半は、まずレコード大賞でしたね。これが午後9時くらいで終わって。それからNHK紅白歌合戦レコード大賞にも出演していた歌手は、それが終わってから移動するので、大慌てで会場に入って来たり、間に合わずに遅れたりしていました。当時は紅白歌合戦で歌われる曲は、誰もが知っていましたね。最近は音楽に触れる方法が多様化していて、誰もが知っているヒット曲というのはあまりなくなったような気がします。少し寂しいですね。

 

花札

で、紅白が始まった頃には、父親と祖母はお酒が入っていていい気分。気持ちも盛り上がって来ていて。まず座布団が家族のだんらんの輪の中央に置かれます。それから、花札。場は三人なので、家族が交代で参加します。中心にいるのは祖母。仕切ります。そして、テレビで流れる歌を一緒に歌ったりしながら、夜中まで遊んだものです。当然、元日はみんなで寝坊します。

そういえば、昔の花札は納税済みのラベルが貼られていた気がします。今、ないですね。いつからかな。

 

子供の頃、大晦日はこうやって過ごしていた

 

もうすぐクリスマス、そして大晦日ですね。

もう子供の頃の頃のように、ウキウキすることがなくなってしまったなあ。

さみしいですね。

 

またどうそお越しください。

 

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