こんにちは、暖淡堂です。
管子四篇の「心術」を少しずつ読んでいます。
前回の内容は以下になります。
今回は、誰もが求める智について述べた文章です。
智乎、智乎。投之海外、無自奪。
以下の様に分けて読んでいきます。
- 智乎、智乎。
- 投之海外、無自奪。
- 智とは
智乎、智乎。
乎は前回説明しました。感嘆や強調の意味で「~か」とか、むしろ「~か!」のようなニュアンスのものです。「智乎、智乎」と繰り返していますので、それがさらに強調されています。「智か!、智か!」ですね。そんなに知識を求めるのか、そんなに人よりも多く知識が欲しいのか、あるいは誰よりも先駆けて知りたいのか、という感じです。
投之海外、無自奪。
之(これ)はここでは智のこと。この智を海外に投げれば。海外とは、当時の中国にとっては世界の涯の涯のそのずっと先。遥か遠く。そこまで智を投げてしまえ、と言います。そうすると自らが奪われることはない。自らが奪われるとは、本来の在り方、道とともにある生き方、それを失ってしまうということ。智を求めすぎると、本来の在り方が出来なくなってしまう。そんなことになるくらいなら、過剰に智を求めることなどするな、ということですね。
智とは。
聡明であるとか、知識があるとか、世の中の常識にしたがって物事に対処できるとか。そんな感じのことをまとめて智と言います。管子四篇の「心術」では、そんなことを追求するよりも、道とともに、自然な生き方を大切にしなさい、と言っています。なんだか、現代人にもそのまま当てはまりそうですね。
原文:智乎、智乎。投之海外、無自奪。
書き下し文:智か、智か。これを海外に投げれば、自ずから奪われること無し。
意味:それほど知識が大事なものなのか。むしろそれをはるか遠くに投げ去ってしまえば、自らのあるべき在り方を見失うことはないのに。
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