後醍醐天皇の皇子のうち、征西将軍宮懐良親王は、もっとも足利幕府を怖れさせました。
建武の新政の失敗後、一三三六年、後醍醐天皇はまだ幼い懐良親王を九州に向かわせました。すぐに九州に上陸することは出来ず、数年を瀬戸内海の忽那島で過ごします。
その後九州に上陸した懐良親王は、薩摩の谷山隆信の力を借りて足利方の島津氏と対峙します。いくつかの戦に手堅く攻防を繰り返す中、菊池武光と運命的な出会いを果たします。
菊池武光の力を借りた征西将軍宮は、一三四八年、隈府城に征西府を置き、九州の攻略を本格化させます。当時大宰府にいた一色氏、仁木氏らを破り、また足利方に寝返った少弐氏らも追い落とした征西府は、博多、大宰府を手に入れ、九州を平定しました。
その結果、九州全土が京都にいる足利幕府の支配から離れ、一つの独立国のような状態になります。
その間、征西将軍宮は日本国王懐良として明の太祖から柵封されています。
北方作品「武王の門」では、懐良親王(牧宮)自身が主人公として、九州への赴任から九州平定、征西将軍職の良成親王への譲り渡し、晩年までが鮮やかに描かれています。
爽やかな読後感が得られる一冊です。
大人の読書にお勧めです。
武王の門 北方謙三
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