建武の新政を実現した後醍醐天皇には皇子が数人いました。そのうち鎌倉幕府を倒すのにもっとも活躍したのが大塔の宮護良親王です。皇子でありながら武士の一軍を率い、鎌倉幕府の軍勢との戦を指揮しました。貴族の大塔の宮は、建武の新政が実現されると征夷大将軍となりました。
しかし武家による政治を望む足利尊氏らは、後醍醐天皇やその周囲にいる人たちに働きかけ、讒言を繰り返し天皇の耳に入れ、ついに大塔の宮を鎌倉に幽閉することに成功します。大塔の宮は鎌倉の幽閉先で混乱の中殺されてしまいます。
この大塔の宮の近くにいて、ずっと一緒に戦い続けたのが播磨の悪党、赤松円心則村の息子、則祐でした。大塔の宮の挙兵、楠木正成との共闘、後醍醐天皇にしたがう武士たちが京を制圧するにあたって、赤松父子は渾身の働きをします。
北方謙三さんの「悪党の裔」では、赤松父子の目を通して大塔の宮の最期が描かれます。大塔の宮の夢、父後醍醐天皇への思いなど、どれも心に残る文章で語られています。また、普通の歴史書では理解しにくい南北朝時代の流れも、北方太平記を読むことで理解ができます。
大人の読書にお勧めです。
悪党の裔 北方謙三
最後までお読みいただきありがとうございます。
後醍醐天皇の皇子について、もう少し書き続けます。
引き続きどうぞご贔屓に。
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