こんにちは、暖淡堂です。
前回は、指導者は人々と一緒になって騒ぐな、一歩退いて世の中の動きを見よ、という意味の文章を読みました。
前回の内容は以下になります。
今回は、そんな指導者が理想とする「道」の在り方を述べた文章を読んでみたいと思います。
道不遠、而難極也。與人竝處、而難得也。
以下の様に分けて読んでいきます。
- 道不遠、而難極也。
- 與人竝處、而難得也。
- 道とは。
道不遠、而難極也。
而は「しかも」です。書き下し文は「道は遠からずして、しかも極め難きなり」となります。極めるとは「用いつくす」、「出来ることの限りをつくす」の意味で読みたいと思います。「技を極める、最高の状態にする」という意味は日本での理解。そもそもの意味ではないようです。
與人竝處、而難得也。
與は与の、竝は並の、それぞれ旧字体です。與は「~とともに」の意味です。書き下し文は「人と竝び處るが、しかも得難きなり」。道は人のすぐそばに並ぶようにあるが、それを自分のものとするのはとても難しいのだ。そう説明されます。
道とは。
道とは、無為自然の本来の在り方、それを実現しているもの。自然そのものとも理解されます。西洋の宗教であればそれを神と呼ぶのかもしれません。それは、どこか遠くにあって、ただ思うことだけができるというようなものではなく、誰ものすぐ近くにあるもの。しかし、ほとんどの人は、そのすぐ近くにある道の存在にすら気づいていない。まして、それを自分のものにすることは至難の業です。しかし、心術は、指導的立場に立つものは、その道の在り方を体現せよと求めています。
原文:道不遠、而難極也。與人竝處、而難得也。
書き下し文:道は遠からずして、しかも極め難きなり。人と竝び處るが、しかも得難きなり。
意味:道とは遠くにあるものではないが、それをしっかりと意識するのはとても難しい。人と並ぶようにすぐ近くにあるのだが、それを自分のものにすることは出来ないものなのだ。
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