こんにちは、暖淡堂です。
管子四篇の心術の紹介、6回目です。
心が欲で満ちてしまえば、目や耳はものごとをありのままに捉えることが出来ない。
前回はそんな内容でした。
今回は、それを国や会社のような組織に当てはめて考えます。
故曰上離其道、下失其事。
以下のように分けて考えていきます。
- 故曰上離其道
- 下失其事
- 上に立つ者の責任
故曰上離其道
故と曰は漢文にはよくでてきます。故は「ゆえに」と読みます。「だから」とか「それで」のような意味です。曰は「いわく」。「言う」とか「言われる」とかの意味です。故曰とくると「ゆえにいわく」。「だから言うのだ」という感じです。上とは「上に立つ者」、「指導者」のような意味。ここでは国の主。離はそのまま「離れる」、「外れてしまう」。其は前にもでました。「その」と読みます。道は「あるべき在り方」。なので、この文の意味は、「だから言うのだ、上に立つ者が本来の在り方から外れてしまっていると~」。それから次の文につながります。
下失其事
下は「従う者たち」。上に従う下の者たち。事は「役目」とか「仕事」とかの意味ですが、ここも「本来の役目」というニュアンスで読むことができます。上に立つ者が本来の在り方を離れて、欲に動かされて余計な事をあれこれやり始めたら、下の従う者たちも本来の役目から離れて勝手なことをし始めるのだ、という感じです。
上に立つ者の責任
心と身体の関係と較べてみると、心=上、指導者で身体=下、従う者のようになりますね。まず指導者があるべき在り方で振る舞っていなければなりません。人々がそれぞれ勝手に振る舞って世の中が乱れるのは、指導者の在り方に原因があるのだ。そう心術は言っています。心術では、そのあり方とは心に余計なものを溜めこまない、余計な事をしない、時の流れや自然の変化にかなった、道とともにある在り方だと繰り返すのです。
原文:故曰上離其道、下失其事。
読み下し文:故に曰く、上その道を離れれば、下その事を失う。
意味:だからいうのだ、上に立つ者が本来あるべきあり方から離れてしまえば、導かれるべき人達は本来行うべきことを見失ってしまう、と。
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