安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

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百人一首の歌人

「夜をこめて 鳥の空音は はかるとも」 清少納言 学識に裏打ちされた軽妙さ 権勢の渦の中でみせる静けさ

百人一首第62番目の歌の作者は清少納言せいしょうなごん。 百人一首第42番目の歌の作者清原元輔の娘です。 「枕草子」の作者として有名ですね。 今回は清少納言について紹介します。 清少納言とは 生年が990年頃、没年は1025年頃。 一条天皇中宮定子(藤原道…

「いにしへの 奈良の都の 八重桜」 伊勢大輔 藤原道長に命じられて詠んだ歌

この歌は、都で行われた歌合に小式部内侍が歌人として選ばれたときの出来事にまつわるもののようです。 百人一首に歌が選ばれている藤原定頼が小式部内侍のところに来て、「お母さん(和泉式部)からの手紙は届きましたか、歌合で披露する歌は書かれていまし…

百人一首の時代 第51歌から第60歌まで まとめ

百人一首の第51歌から第60歌までをまとめます。 時代は平安時代の貴族政治の最盛期。 藤原北家の藤原道長が権勢の頂点に立とうとしている頃。 地方では力を蓄えた有力者も現れていて、次の時代の予兆も見え始めています。 この部分の歌には、女流歌人の作品…

「大江山 いく野の道の 遠ければ」 小式部内侍 和泉式部の娘で、早世した才女

この歌は、都で行われた歌合に小式部内侍が歌人として選ばれたときの出来事にまつわるもののようです。 百人一首に歌が選ばれている藤原定頼が小式部内侍のところに来て、「お母さん(和泉式部)からの手紙は届きましたか、歌合で披露する歌は書かれていまし…

「やすらはで 寝なましものを さ夜更けて」 赤染衛門 文章博士の夫を支えた才女

百人一首第59番目の歌の作者は赤染衛門あかぞめえもん。 後の人たちに、和泉式部と並ぶ才女と評価された人です。 今回は赤染衛門について紹介します。 赤染衛門とは 生年が956年頃、没年は1041年頃。 父は大隅守・赤染時用。 一説では母親の前夫平兼盛の子ど…

「有馬山 猪名の笹原 風吹けば」 大弐三位 紫式部の娘で、後冷泉天皇の乳母

百人一首第58番目の歌の作者は大弐三位だいにのさんみ。 「源氏物語」の作者、紫式部の娘です。 今回は大弐三位について紹介します。 大弐三位とは 生年が999年頃、没年は1082年頃とされています。 父は藤原宣孝。母は紫式部。 本名は藤原賢子ふじわらのかた…

「めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に」 紫式部 幼馴染との短い再会を歌った一首

百人一首第57番目の歌の作者は紫式部むらさきしきぶ。 「源氏物語」の作者として有名ですね。 以前、古典作品と著作権関連で書いた記事があります。 ご参照ください。 dantandho.hatenadiary.com 今回は紫式部について紹介します。 紫式部とは 生年が973年頃…

「あらざらむ この世の外の 思ひ出に」 和泉式部 表現力で他の歌人たちと一線を画する

百人一首第56番目の歌の作者は和泉式部いづみしきぶ。 恋歌を多く書き残した女流歌人です。 今回は和泉式部について紹介します。 和泉式部とは 生年が978年頃、没年は不詳です。 恋愛を多く経験した女性で、初め橘道貞と結婚し小式部内侍を産みます。 小式部…

「滝の音は 絶えて久しく なりぬれど」 大納言公任 漢詩、和歌、管弦に優れていた才人

百人一首第55番目の歌の作者は大納言公任だいなごんきんとう。 漢詩、和歌、管弦のいずれにも才能を示し、その上有職故実にも通じていたようです。 今回は大納言公任について紹介します。 大納言公任とは 生年が966年、没年は1041年です。 長寿の人だったよ…

「忘れじの 行く末までは 難ければ」 儀同三司母 藤原道長台頭の影に没落する家族

百人一首第54番目の歌の作者は儀同三司母ぎどうさんしのはは。 女房三十六歌仙の一人に数えられています。 今回は儀同三司母について紹介します。 儀同三司母とは 生年が940年、没年は996年頃です。 やはり疫病が流行った頃に亡くなっています。 従二位式部…

「嘆きつつ ひとり寝る夜の あくる間は」 右大将道綱母 夫、藤原兼家に宛てた歌

百人一首第53番目の歌の作者は右大将道綱母みちつなのはは。 「蜻蛉日記」の作者としても知られていますね。 また、清少納言らと共に女房三十六歌仙の一人ともされています。 今回は右大将道綱母について紹介します。 右大将道綱母とは 生年936年、没年は995…

「明けぬれば 暮るるものとは 知りながら」 藤原道信朝臣 後朝の想いを素直に告げる歌

百人一首第52番目の歌の作者は藤原道信みちのぶ朝臣あそんです。 この人も三十六歌仙の一人でした。 今回は藤原道信みちのぶ朝臣あそんについて紹介します。 藤原道信朝臣とは 生年972年、没年は994年。 享年23。とても短命でした。 この人も藤原北家に連な…

「かくとだに えやはいぶきの さしも草」 藤原実方朝臣 赴任先の陸奥で事故死

百人一首第51番目の歌の作者は藤原実方さねかた朝臣あそんです。 この人も三十六歌仙の一人でした。 今回は藤原実方さねかた朝臣あそんについて紹介します。 藤原実方朝臣とは 生年不詳、没年は999年。 この歌は、女性に初めて贈った歌だったようです。 それ…

百人一首の時代 第41歌から第50歌まで まとめ

百人一首の第41歌から第50歌までをまとめます。 京から離れた関東での大乱「平将門の乱」や瀬戸内海から九州にかけて発生した「藤原純友の乱」などの後の時代が中心になります。藤原北家の権勢は次第に絶頂に向かいます。 中国大陸では契丹の遼への改称、五…

「君がため惜しからざりし命さえ」 藤原義孝 病に倒れた薄命の貴公子

百人一首第50番目の歌の作者は藤原義孝です。 この人は三十六歌仙の一人でしたが、流行病のため二〇歳(二一歳)でなくなりました。 今回は藤原義孝よしたかについて紹介します。 藤原義孝とは 生年954年、没年は974年。 藤原北家につらなる摂政太政大臣藤原…

「御垣守衛士のたく火の夜は燃え」 大中臣能宣朝臣 京の都の官能的な世界を歌う

百人一首第49番目の歌の作者は大中臣能宣朝臣おおなかとみのよしのぶあそんです。 この人は三十六歌仙の一人であり、後撰和歌集の選者でもありました。 今回は大中臣能宣朝臣について紹介します。 大中臣能宣朝臣とは 生年921年、没年は991年。 伊勢神宮の祭…

「風をいたみ岩打つ波のおのれのみ」 源重之 自然の描写で心の様子を表現する

百人一首第48番目の歌の作者は源重之みなもとのしげゆきです。 この人も三十六歌仙の一人でした。 今回は源重之について紹介します。 源重之とは 生年940年頃、没年は1000年頃。 平安中期の人です。 清和天皇の曾孫。いわゆる清和源氏につらなる人ですね。 …

「八重葎茂れる宿のさびしきに」 恵慶法師 失われた王朝をいとおしむ

百人一首第47番目の歌の作者は恵慶えぎょう法師です。 この人も三十六歌仙の一人です。 今回は恵慶法師について紹介します。 恵慶法師とは 生没年不詳。平安中期の人です。 清和天皇のひ孫にあたり、清和源氏につらなる一人でもあります。 地方官を歴任しま…

「由良の門を渡る船人梶を絶え」 曽禰好忠 心情に具体的な風景を与える

百人一首第46番目の歌の作者は曽禰好忠そねのよしただです。 三十六歌仙の一人です。 今回は曽禰好忠について紹介します。 曽禰好忠とは 生没年は詳しくはわかりませんが、平安中期の人でした。 官位は六位、丹後掾を勤めました。 和歌の才能はありながらも…

「あはれとも言ふべき人は思ほえで」 謙徳公 同情を求めた「切なさ」の表現

百人一首第45番目の歌の作者は謙徳公(藤原伊尹これまさ)です。 藤原忠平の孫になります。 今回は謙徳公について紹介します。 中納言朝忠とは 生年が924年、没年が972年。平安中期の人。 この人も当時の権勢の中心にいた藤原北家につらなる一人で、藤原忠平…

「逢ふことのたえてしなくはなかなかに」 中納言朝忠 心の曲折を表現した歌

百人一首第44番目の歌の作者は中納言(藤原)朝忠。 この人も三十六歌仙の一人です。 今回は中納言朝忠について紹介します。 中納言朝忠とは 生年が910年、没年が967年。平安中期の人でした。 当時の権勢の中心にいた藤原北家につらなる一人。 官位は従三位…

「逢ひ見てののちの心にくらぶれば」 権中納言敦忠 後朝(きぬぎぬ)に詠まれた歌

百人一首第43番目の歌の作者は権中納言(藤原)敦忠あつただ。 左大臣藤原時平の息子です。 曽祖父が在原業平で、多芸の貴公子だったようです。 三十六歌仙の一人でもあります。 今回は権中納言敦忠について紹介します。 権中納言敦忠とは 生年が906年、没年…

「契りきなかたみに袖をしぼりつつ」 清原元輔 多作な歌人、清少納言の父 末の松山とは

百人一首第42番目の歌の作者は清原元輔です。 百人一首第36番目の歌の作者清原深養父の孫で、第62番目の歌の作者清少納言の父です。また、三十六歌仙の一人であり、後撰和歌集の選者でもありました。 今回は清原元輔について紹介します。 清原元輔とは 生年…

「恋すてふわが名はまだき立ちにけり」 壬生忠見 内裏歌合での名勝負

百人一首第41番目の歌の作者は壬生忠見です。 この歌は40番目の平兼盛の歌と、村上天皇の内裏歌合で優劣を競ったもの。 村上天皇は平兼盛の歌を勝ちとしましたが、いずれの歌も優れていたため、後世に名勝負として伝えられました。 今回は壬生忠見について紹…

百人一首の時代 第31歌から第40歌まで まとめ

百人一首の第31歌から第40歌までをまとめます。 途中で、選ばれる歌が、古今和歌集にあるものから、古今和歌集以後の勅撰和歌集のものに変わります。また、源姓、平姓の作者も現れてきます。その中から武力集団を構成するものや、文学の才能を伸ばすものなど…

「忍ぶれど色に出にけりわが恋は」 平兼盛 内裏歌合での名勝負の勝者となった歌

百人一首第40番目の歌の作者は平兼盛です。 三十六歌仙の一人。 平姓の人ですね。 臣籍降下で出来た平家の一人ですが、その系譜には若干不明な部分があるようです。 赤染衛門の実父でもあります。 今回は平兼盛について紹介します。 平兼盛とは 生年は不明で…

「浅茅生の小野の篠原忍ぶれど」 参議等 うねる言葉で表現された恋歌 臣籍降下で生まれた源氏と平氏のこと

百人一首第39番目の歌の作者は参議等ひとし、源等です。 今回は参議等について紹介します。 参議等とは 嵯峨源氏につらなる人です。 880年生まれ、951年没。平安時代中期の人です。 最終官位は正四位下、参議でした。 醍醐天皇、朱雀天皇、村上天皇に仕えた…

「忘らるる身をば思はず誓ひてし」 右近 恋多き女の言葉にこめられた毒

百人一首第38番目の歌の作者は右近。 今回は右近について紹介します。 右近とは 生没年不詳。平安時代中期の人です。 右近衛少将藤原季縄の娘と伝えられています。 醍醐天皇の中宮穏子に仕えていました。 恋多き女性だったようで、元良親王・藤原敦忠・藤原…

「白露に風の吹きしく秋の野は」 文屋朝康 散る玉に想うはかなさ

百人一首第37番目の歌の作者は文屋朝康ふんやのあさやすです。 今回は文屋朝康について紹介します。 文屋朝康とは この人も生没年がはっきりしません。平安時代前期の人のようです。 古今和歌集が成立したころに歌人として活動をしていたようですが、古今和…

「夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを」 清原深養父 短い夏の夜を愛しむ

百人一首第36番目の歌の作者は清原深養父きよはらのふかやぶです。 三十六歌仙の一人です。 今回は清原深養父について紹介します。 清原深養父とは 生没年ははっきりしません。平安時代中期の人です。 官位は従五位下。晩年は洛北に補陀落寺を建立。自らそこ…

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