安心感の研究 by 暖淡堂

暖淡堂の雑記ブログ

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百人一首の歌人

「高砂の 尾の上の桜 咲きにけり」 前中納言匡房 高砂の遠景、外山の近景

百人一首第73番目の歌の作者は前中納言匡房さきのちゅうなごんまさふさです。 後三条天皇、白河天皇ら諸天皇に使えました。 漢学者としては当代随一と言われました。 今回は前中納言匡房について紹介します。 前中納言(大江)匡房とは 生年が1041年、没年は…

「音に聞く 高師の浜の あだ波は」 祐子内親王家紀伊 恋歌が主題の歌合で披露された歌

百人一首第72番目の歌の作者は祐子内親王家紀伊ゆうしないしんのうけのきいです。 後朱雀天皇皇女祐子内親王に仕えていた女房でした。 女房三十六歌仙の一人です。 今回は祐子内親王家紀伊について紹介します。 祐子内親王家紀伊とは 祐子内親王家紀伊の生没…

「夕されば 門田の稲葉 おとづれて」 大納言経信 異形の鬼と出会った歌人 さわやかに秋の情景を歌う

百人一首第71番目の歌の作者は大納言経信だいなごんつねのぶです。 藤原頼通が政治の中心にいた頃から、後三条天皇、白河天皇の院政期に至るまで歌壇の中央で活躍していました。 今回は大納言経信について紹介します。 大納言経信とは 大納言経信(源経信)…

百人一首の時代 第61歌から第70歌まで まとめ

百人一首の第61歌から第70歌までをまとめます。 藤原道長が権勢を極めた時代から、地方で平氏、源氏、それぞれが力をつけ始めた頃までになります。 また、世の中から少し距離を取り、僧侶となった人たちの作品もいくつか見られましたね。 dantandho.hatenadi…

「さびしさに 宿を立ち出でて 眺むれば」 良暹法師 秋の夕暮れを多くの人が愛した

百人一首第70番目の歌の作者は良暹法師りょうぜんほうしです。 この人も僧侶で歌人です。 今回は良暹法師について紹介します。 良暹法師とは 生没年不詳。 生年1000年頃、没年1065年頃とする説があります。 天台宗の僧で、朱雀天皇、後冷泉天皇の頃に歌人と…

「嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は」 能因法師 秋の情景に思いを馳せて詠った

百人一首第69番目の歌の作者は能因法師のういんほうしです。 僧侶で歌人。中古三十六歌仙の一人です。 今回は能因法師について紹介します。 能因法師とは 生年988年、没年1050年(または1070年)。 俗名は橘永愷たちばなのながやす。 和歌に堪能で、諸国を旅…

「心にも あらで憂き世に ながらへば」 三条院 おっとりとした人柄が愛された

百人一首第68番目の歌の作者は三条院さんじょういんです。 第六十七代天皇ですが、藤原道長に強く求められて退位しました。 今回は三条院について紹介します。 三条院とは 生年976年、没年1017年。 冷泉天皇の第二皇子でした。 眼病(おそらく緑内障)により…

「春の夜の 夢ばかりなる 手枕に」 周防内侍 ひとときの戯れを詠う

百人一首第67番目の歌の作者は周防内侍すおうのないしです。 女房三十六歌仙の一人です。 今回は周防内侍について紹介します。 周防内侍とは 生年1037年頃、没年1110年頃。 平安時代後期の人で、本名は平仲子たいらのちゅうし。 桓武平氏につらなる人でした…

「もろともに あはれと思へ 山桜」 前大僧正行尊 武士の勢力が拡大する時代を修験者として過ごした

百人一首第66番目の歌の作者は前大僧正行尊さきのだいそうじょうぎょうそんです。 天台宗の僧侶であり、歌人でもありました。 今回は前大僧正行尊について紹介します。 前大僧正行尊とは 生年1055年、没年1135年。 平安時代後期の人です。 三条天皇の皇子敦…

「恨みわび ほさぬ袖だに あるものを」 相模 歌壇で長く活躍した歌の名手

百人一首第65番目の歌の作者は相模さがみです。 相模守大江公資おおえのきんよりと結婚したことから相模と呼ばれるようになった人です。 今回は相模について紹介します。 相模とは 生没年が不詳です。 生年998年頃、没年1061年とする説もあります。 女房三十…

「朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに」 権中納言定頼 小式部内侍にやりこめられた貴族

百人一首第64番目の歌の作者は権中納言定頼ごんちゅうなごんさだより(藤原定頼)です。 藤原北家小野宮流藤原公任の長男で、中古三十六歌仙の一人。 今回は権中納言定頼について紹介します。 権中納言(藤原)定頼とは 生年が995年、没年は1045年。 官位は…

「今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを」 左京大夫道雅 権勢の座から落ちた藤原一族

百人一首第63番目の歌の作者は左京大夫(藤原)道雅みちまさ。 前回の清少納言の歌を紹介した回にちょっとだけ顔を出した藤原伊周の息子です。 今回は左京大夫道雅について紹介します。 左京大夫(藤原)道雅とは 生年が992年、没年は1054年。 父親が藤原伊…

「夜をこめて 鳥の空音は はかるとも」 清少納言 学識に裏打ちされた軽妙さ 権勢の渦の中でみせる静けさ

百人一首第62番目の歌の作者は清少納言せいしょうなごん。 百人一首第42番目の歌の作者清原元輔の娘です。 「枕草子」の作者として有名ですね。 今回は清少納言について紹介します。 清少納言とは 生年が990年頃、没年は1025年頃。 一条天皇中宮定子(藤原道…

「いにしへの 奈良の都の 八重桜」 伊勢大輔 藤原道長に命じられて詠んだ歌

この歌は、都で行われた歌合に小式部内侍が歌人として選ばれたときの出来事にまつわるもののようです。 百人一首に歌が選ばれている藤原定頼が小式部内侍のところに来て、「お母さん(和泉式部)からの手紙は届きましたか、歌合で披露する歌は書かれていまし…

百人一首の時代 第51歌から第60歌まで まとめ

百人一首の第51歌から第60歌までをまとめます。 時代は平安時代の貴族政治の最盛期。 藤原北家の藤原道長が権勢の頂点に立とうとしている頃。 地方では力を蓄えた有力者も現れていて、次の時代の予兆も見え始めています。 この部分の歌には、女流歌人の作品…

「大江山 いく野の道の 遠ければ」 小式部内侍 和泉式部の娘で、早世した才女

この歌は、都で行われた歌合に小式部内侍が歌人として選ばれたときの出来事にまつわるもののようです。 百人一首に歌が選ばれている藤原定頼が小式部内侍のところに来て、「お母さん(和泉式部)からの手紙は届きましたか、歌合で披露する歌は書かれていまし…

「やすらはで 寝なましものを さ夜更けて」 赤染衛門 文章博士の夫を支えた才女

百人一首第59番目の歌の作者は赤染衛門あかぞめえもん。 後の人たちに、和泉式部と並ぶ才女と評価された人です。 今回は赤染衛門について紹介します。 赤染衛門とは 生年が956年頃、没年は1041年頃。 父は大隅守・赤染時用。 一説では母親の前夫平兼盛の子ど…

「有馬山 猪名の笹原 風吹けば」 大弐三位 紫式部の娘で、後冷泉天皇の乳母

百人一首第58番目の歌の作者は大弐三位だいにのさんみ。 「源氏物語」の作者、紫式部の娘です。 今回は大弐三位について紹介します。 大弐三位とは 生年が999年頃、没年は1082年頃とされています。 父は藤原宣孝。母は紫式部。 本名は藤原賢子ふじわらのかた…

「めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に」 紫式部 幼馴染との短い再会を歌った一首

百人一首第57番目の歌の作者は紫式部むらさきしきぶ。 「源氏物語」の作者として有名ですね。 以前、古典作品と著作権関連で書いた記事があります。 ご参照ください。 dantandho.hatenadiary.com 今回は紫式部について紹介します。 紫式部とは 生年が973年頃…

「あらざらむ この世の外の 思ひ出に」 和泉式部 表現力で他の歌人たちと一線を画する

百人一首第56番目の歌の作者は和泉式部いづみしきぶ。 恋歌を多く書き残した女流歌人です。 今回は和泉式部について紹介します。 和泉式部とは 生年が978年頃、没年は不詳です。 恋愛を多く経験した女性で、初め橘道貞と結婚し小式部内侍を産みます。 小式部…

「滝の音は 絶えて久しく なりぬれど」 大納言公任 漢詩、和歌、管弦に優れていた才人

百人一首第55番目の歌の作者は大納言公任だいなごんきんとう。 漢詩、和歌、管弦のいずれにも才能を示し、その上有職故実にも通じていたようです。 今回は大納言公任について紹介します。 大納言公任とは 生年が966年、没年は1041年です。 長寿の人だったよ…

「忘れじの 行く末までは 難ければ」 儀同三司母 藤原道長台頭の影に没落する家族

百人一首第54番目の歌の作者は儀同三司母ぎどうさんしのはは。 女房三十六歌仙の一人に数えられています。 今回は儀同三司母について紹介します。 儀同三司母とは 生年が940年、没年は996年頃です。 やはり疫病が流行った頃に亡くなっています。 従二位式部…

「嘆きつつ ひとり寝る夜の あくる間は」 右大将道綱母 夫、藤原兼家に宛てた歌

百人一首第53番目の歌の作者は右大将道綱母みちつなのはは。 「蜻蛉日記」の作者としても知られていますね。 また、清少納言らと共に女房三十六歌仙の一人ともされています。 今回は右大将道綱母について紹介します。 右大将道綱母とは 生年936年、没年は995…

「明けぬれば 暮るるものとは 知りながら」 藤原道信朝臣 後朝の想いを素直に告げる歌

百人一首第52番目の歌の作者は藤原道信みちのぶ朝臣あそんです。 この人も三十六歌仙の一人でした。 今回は藤原道信みちのぶ朝臣あそんについて紹介します。 藤原道信朝臣とは 生年972年、没年は994年。 享年23。とても短命でした。 この人も藤原北家に連な…

「かくとだに えやはいぶきの さしも草」 藤原実方朝臣 赴任先の陸奥で事故死

百人一首第51番目の歌の作者は藤原実方さねかた朝臣あそんです。 この人も三十六歌仙の一人でした。 今回は藤原実方さねかた朝臣あそんについて紹介します。 藤原実方朝臣とは 生年不詳、没年は999年。 この歌は、女性に初めて贈った歌だったようです。 それ…

百人一首の時代 第41歌から第50歌まで まとめ

百人一首の第41歌から第50歌までをまとめます。 京から離れた関東での大乱「平将門の乱」や瀬戸内海から九州にかけて発生した「藤原純友の乱」などの後の時代が中心になります。藤原北家の権勢は次第に絶頂に向かいます。 中国大陸では契丹の遼への改称、五…

「君がため惜しからざりし命さえ」 藤原義孝 病に倒れた薄命の貴公子

百人一首第50番目の歌の作者は藤原義孝です。 この人は三十六歌仙の一人でしたが、流行病のため二〇歳(二一歳)でなくなりました。 今回は藤原義孝よしたかについて紹介します。 藤原義孝とは 生年954年、没年は974年。 藤原北家につらなる摂政太政大臣藤原…

「御垣守衛士のたく火の夜は燃え」 大中臣能宣朝臣 京の都の官能的な世界を歌う

百人一首第49番目の歌の作者は大中臣能宣朝臣おおなかとみのよしのぶあそんです。 この人は三十六歌仙の一人であり、後撰和歌集の選者でもありました。 今回は大中臣能宣朝臣について紹介します。 大中臣能宣朝臣とは 生年921年、没年は991年。 伊勢神宮の祭…

「風をいたみ岩打つ波のおのれのみ」 源重之 自然の描写で心の様子を表現する

百人一首第48番目の歌の作者は源重之みなもとのしげゆきです。 この人も三十六歌仙の一人でした。 今回は源重之について紹介します。 源重之とは 生年940年頃、没年は1000年頃。 平安中期の人です。 清和天皇の曾孫。いわゆる清和源氏につらなる人ですね。 …

「八重葎茂れる宿のさびしきに」 恵慶法師 失われた王朝をいとおしむ

百人一首第47番目の歌の作者は恵慶えぎょう法師です。 この人も三十六歌仙の一人です。 今回は恵慶法師について紹介します。 恵慶法師とは 生没年不詳。平安中期の人です。 清和天皇のひ孫にあたり、清和源氏につらなる一人でもあります。 地方官を歴任しま…