安心感の研究 by 暖淡堂

暖淡堂の雑記ブログ

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百人一首の歌人

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百人一首の時代 第41歌から第50歌まで まとめ

百人一首の第41歌から第50歌までをまとめます。 京から離れた関東での大乱「平将門の乱」や瀬戸内海から九州にかけて発生した「藤原純友の乱」などの後の時代が中心になります。藤原北家の権勢は次第に絶頂に向かいます。 中国大陸では契丹の遼への改称、五…

「恋すてふわが名はまだき立ちにけり」 壬生忠見 内裏歌合での名勝負

百人一首第41番目の歌の作者は壬生忠見です。 この歌は40番目の平兼盛の歌と、村上天皇の内裏歌合で優劣を競ったもの。 村上天皇は平兼盛の歌を勝ちとしましたが、いずれの歌も優れていたため、後世に名勝負として伝えられました。 今回は壬生忠見について紹…

「これやこの行くも帰るも別れては」 蝉丸 盲目の琵琶法師が行き交う人たちに思う

百人一首の第十歌の歌人は蝉丸です。 夢枕獏さんの「陰陽師」シリーズにも時々登場します。 ご存知の方も多いかと。 今回は蝉丸について紹介します。 蝉丸とは 時代背景 百人一首の歌 蝉丸とは 盲目の琵琶法師だったと伝えられています。逢坂の関(山城国と…

「月見れば千々にものこそ悲しけれ」 大江千里 故事によせた哀詩

百人一首第23番目の歌の作者は大江千里です。 中古三十六歌仙の一人で、漢学者でもありました。 今回は大江千里について紹介します。 大江千里とは 在原行平、在原業平の甥ともいわれています。 生没年は不明ですが、清和天皇から醍醐天皇まで続けて仕えてい…

「有明のつれなく見えし別れより」 壬生忠岑 定家が「名歌」という一首

百人一首第30番目の歌の作者は壬生忠岑です。 36歌仙の一人です。古今和歌集の選者でもありました。 今回は壬生忠岑について紹介します。 壬生忠岑とは 生年860年頃、没年が920年頃。 前回の凡河内躬恒とほぼ同じ時代の人です。 和歌の才能は高く評価されて…

「有馬山 猪名の笹原 風吹けば」 大弐三位 紫式部の娘で、後冷泉天皇の乳母

百人一首第58番目の歌の作者は大弐三位だいにのさんみ。 「源氏物語」の作者、紫式部の娘です。 今回は大弐三位について紹介します。 大弐三位とは 生年が999年頃、没年は1082年頃とされています。 父は藤原宣孝。母は紫式部。 本名は藤原賢子ふじわらのかた…

「いにしへの 奈良の都の 八重桜」 伊勢大輔 藤原道長に命じられて詠んだ歌

この歌は、都で行われた歌合に小式部内侍が歌人として選ばれたときの出来事にまつわるもののようです。 百人一首に歌が選ばれている藤原定頼が小式部内侍のところに来て、「お母さん(和泉式部)からの手紙は届きましたか、歌合で披露する歌は書かれていまし…

「夜をこめて 鳥の空音は はかるとも」 清少納言 学識に裏打ちされた軽妙さ 権勢の渦の中でみせる静けさ

百人一首第62番目の歌の作者は清少納言せいしょうなごん。 百人一首第42番目の歌の作者清原元輔の娘です。 「枕草子」の作者として有名ですね。 今回は清少納言について紹介します。 清少納言とは 生年が990年頃、没年は1025年頃。 一条天皇中宮定子(藤原道…

「嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は」 能因法師 秋の情景に思いを馳せて詠った

百人一首第69番目の歌の作者は能因法師のういんほうしです。 僧侶で歌人。中古三十六歌仙の一人です。 今回は能因法師について紹介します。 能因法師とは 生年988年、没年1050年(または1070年)。 俗名は橘永愷たちばなのながやす。 和歌に堪能で、諸国を旅…

「さびしさに 宿を立ち出でて 眺むれば」 良暹法師 秋の夕暮れを多くの人が愛した

百人一首第70番目の歌の作者は良暹法師りょうぜんほうしです。 この人も僧侶で歌人です。 今回は良暹法師について紹介します。 良暹法師とは 生没年不詳。 生年1000年頃、没年1065年頃とする説があります。 天台宗の僧で、朱雀天皇、後冷泉天皇の頃に歌人と…

「ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば」 後徳大寺左大臣 初夏の朝に動く空気

百人一首第81番目の歌の作者は後徳大寺左大臣ごとくだいじのさだいじんです。 後徳大寺左大臣とは藤原実定のこと。 後とつくのは、祖父の徳大寺(藤原)実能が徳大寺左大臣と呼ばれていたことから。 今回は後徳大寺左大臣について紹介します。 後徳大寺左大…

「ももしきや 古き軒端の しのぶにも」 順徳院 あるべき王権の姿を過去に求めた

百人一首第100番目、最後の歌の作者は順徳院じゅんとくいん(順徳天皇)です。 後鳥羽院の第三皇子になります。 今回は順徳院について紹介します。 順徳院とは 生年1197年、没年1242年。 第84代の天皇です。 父は後鳥羽天皇、母は藤原重子(修明門院)。 先…

百人一首の時代 第91歌から第100歌まで まとめ

百人一首の第91歌から第100歌までをまとめます。 百人一首は天智天皇、持統天皇の親娘に始まり、後鳥羽院、順徳院の親子で終わります。 天智天皇は平安時代に続く皇統の祖にあたります。 一方の後鳥羽院、順徳院は鎌倉幕府執権として政治の実権を握りつつあ…

「人も惜し 人も恨めし あぢきなく」 後鳥羽院 配流先の隠岐島で最期を迎えた

百人一首第99番目の歌の作者は後鳥羽院ごとばいんです。 芸道、特に和歌を愛した人でしたが、政治にも積極的に関わりました。 今回は後鳥羽院について紹介します。 後鳥羽院とは 生年1180年、没年1239年。 第82代天皇。 父は高倉天皇、祖父は後白河天皇で、…

「風そよぐ ならの小川の 夕暮れは」 従二位家隆 定家とは同門で好敵手

百人一首第98番目の歌の作者は従二位家隆じゅにいいえたか、藤原家隆です。 百人一首の選者、藤原定家とは、同じく藤原俊成を師とした同門のライバルともいえる人です。 今回は従二位家隆について紹介します。 従二位家隆とは 生年1158年、没年1237年。 前回…

「来ぬ人を 松帆の浦の 夕凪に」 権中納言定家 文学と政治の人

百人一首第97番目の歌の作者は権中納言定家ごんちゅうなごんさだいえ、藤原定家です。 百人一首の選者ですね。 今回は権中納言定家について紹介します。 権中納言定家とは 生年1162年、没年1241年。 藤原俊成の次男。 藤原北家に連なる人。 最終官位は正二位…

「花さそふ 嵐の庭の 雪ならで」 入道前太政大臣 栄華の極みでの、ひとときの翳り

百人一首第96番目の歌の作者は入道前太政大臣にゅうどうさきのだいじょうだいじん、藤原(西園寺)公経きんつねです。 鎌倉時代初期に栄華を極めた人。藤原公経の山荘を改装したものが、金閣寺として今も残っています。 今回は入道前太政大臣について紹介し…

「おほけなく うき世の民に 覆ふかな」 前大僧正慈円 「愚管抄」の作者であり、後鳥羽上皇の挙兵には反対だった

百人一首第95番目の歌の作者は前大僧正慈円さきのだいそうじょうじえん(慈円)です。 生涯で4度、天台宗の座主となった人です。 今回は前大僧正慈円について紹介します。 前大僧正慈円とは 生年1155年、没年1225年。 関白藤原忠通の六男で、1192年に天台宗…

「み吉野の 山の秋風 さ夜更けて」 参議雅経 後鳥羽院に重用された、蹴鞠が上手な「新古今和歌集」の選者の一人

百人一首第94番目の歌の作者は参議雅経さんぎまさつね(藤原雅経)です。 後鳥羽上皇に重用され、藤原定家らとともに「新古今和歌集」の選者の一人でもありました。 今回は参議雅経について紹介します。 参議雅経とは 生年1170年、没年1221年。 官位は従三位…

「世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ」 鎌倉右大臣 非業の死をとげる第三代将軍

百人一首第93番目の歌の作者は鎌倉右大臣かまくらのうだいじんです。 鎌倉幕府の源頼朝、源頼家に続く第三代将軍源実朝さねとも。 彼は藤原定家を師として和歌を学ぶ文人でもありました。 今回は鎌倉右大臣について紹介します。 鎌倉右大臣とは 生年1192年、…

「わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の」 二条院讃岐 源頼政の娘 源平衝突前夜の歌人

百人一首第92番目の歌の作者は二条院讃岐にじょういんのさぬきです。 源頼政の娘。 源頼政は、平家政権下で存在感を示し続けた人でしたが、以仁王の挙兵に合流し、戦死しました。 今回は二条院讃岐について紹介します。 二条院讃岐とは 生没年が不詳ですが、…

「きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに」 後京極摂政前太政大臣 妻を亡くした寂しさを和歌に昇華させた

百人一首第91番目の歌の作者は後京極摂政前太政大臣ごきょうごくせっしょうさきのだいじょうだいじんです。 関白九条兼実の子で、藤原忠通の孫にあたります。 今回は後京極摂政前太政大臣について紹介します。 後京極摂政前太政大臣とは 後京極摂政前太政大…

百人一首の時代 第81歌から第90歌まで まとめ

百人一首の第81歌から第90歌までをまとめます。 保元の乱、平治の乱、それに続く源平の合戦期。 その時代の歌人たちの作品が中心になります。 選者の藤原定家と、実際に交流のあった歌人の作品もいくつかありますね。 この後は第91歌から第100歌まで。 源平…

「見せばやな 雄島の海人の 袖だにも」 殷富門院大輔 和歌の上手として多くの歌が勅撰和歌集に選ばれた

百人一首第90番目の歌の作者は殷富門院大輔いんぷもんいんのたいふです。 歌人仲間からは「千首大輔」とあだ名されるほどの多作の人だったようです。 今回は殷富門院大輔について紹介します。 殷富門院大輔とは 生年が1130年頃、没年が1200年頃。 藤原氏北家…

「玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば」 式子内親王 斎院による「忍ぶ恋」の歌

百人一首第89番目の歌の作者は式子内親王しょくしないしんのうです。 賀茂斎院かものさいいんとして11歳から21歳まで過ごした人でした。 今回は式子内親王について紹介します。 式子内親王とは 生年が1149年、没年が1201年。 後白河天皇の皇女です。 守覚法…

「難波江の 芦のかりねの ひとよゆゑ」 皇嘉門院別当 難波江の一夜の恋に身を尽くし

百人一首第88番目の歌の作者は皇嘉門院別当こうかもんいんのべっとうです。 皇嘉門院聖子せいしに仕えた人でした。 今回は皇嘉門院別当について紹介します。 皇嘉門院別当とは 生没年は不詳。 藤原忠通の娘で崇徳天皇の皇后であった皇嘉門院聖子に支えていま…

「村雨の 露もまだ干ぬ 槇の葉に」 寂蓮法師 日本的な風景を目で追うような叙景詩

百人一首第87番目の歌の作者は寂蓮法師じゃくれんほうしです。 定家の従兄弟にあたる人です。 今回は寂蓮法師について紹介します。 寂蓮法師とは 生年は1139年頃、没年は1202年。 俗名は藤原定長で、父は阿闍梨俊海。 後、阿闍梨俊海の兄の藤原俊成(藤原定…

「嘆けとて 月やは物を 思はする」 西行法師 平清盛とともに北面武士であった歌人

百人一首第86番目の歌の作者は西行法師さいぎょうほうしです。 定家らの時代にもその歌と生涯は愛されていましたが、現代でも西行法師の歌は多くの人に読み継がれていますね。 今回は西行法師について紹介します。 西行法師とは 生年は1118年、没年は1190年…

「夜もすがら 物思ふ頃は 明けやらで」 俊恵法師 鴨長明の師でもあった

百人一首第85番目の歌の作者は俊恵法師しゅんえほうしです。 東大寺の僧にして、歌人でもありました。 今回は俊恵法師について紹介します。 俊恵法師とは 生年は1113年、没年は1191年。 父は源俊頼(百人一首74番の歌人)です。 dantandho.hatenadiary.com …

「ながらへば またこの頃や 忍ばれむ」 藤原清輔朝臣 平安末期の歌壇で藤原俊成と並ぶ大御所

百人一首第84番目の歌の作者は藤原清輔朝臣ふじわらのきよすけのあそんです。 平安末期、藤原俊成とともに歌壇を牽引した大御所です。 今回は藤原清輔朝臣について紹介します。 藤原清輔朝臣とは 生年は1104年、没年は1177年。 この人も藤原北家の一人。 平…